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霧のまちの天然醸造

きり
「時」を「味わい」に変える。

 有限会社 片山商店は、創業者 片山秋雄が故郷福井からこの京都は亀岡市に入り、自然豊かで佳水の地を生涯の舞台と決めて味噌蔵としての旗揚げをしてから半世紀を過ぎ、二代目 片山宏司が法人代表となって現在に至ります。

 創業者 片山秋雄はいつしか白味噌づくりの名人と呼ばれ、また京都現代の名工25選を受賞。「米はもっと白く踏め。」(精米歩合)・と口癖のように出していた言葉は、簡単なことを言っているようですが、味噌づくりにおいてこれを徹底し続けることはなかなかの覚悟が必要です。

創業者の理念や技術を長きに渡り学びとり、継承者として二代目の代表に就任した片山宏司は、蔵人たちの経験・技能を磨かせながらも、今も至高の味噌を求めて「ひとりの醸造家」としての道を追求し続けています。

 京都亀岡は佳水の地としても有名ですが、もうひとつ、「霧のまち」としても有名な地域でもあります。

大量生産を可能とする醸造法は取らず、主たる製法としては木樽を専ら使い、気候風土のままにその熟成期間を待つ「天然醸造」にこだわり、白味噌ですら、日本でも珍しい天然醸造で作る蔵です。

四季折々の気候、寒暖の差など、さまざまな自然の要素はその土地ならではの発酵を辿り、この地でしか味わえない、あるいはこの蔵でしか味わえない豊かな醸造味噌が仕上がっていきます。

3topic

原点素材

「ひとのからだをつくるもの」。それはいわゆる調味料の分類となる味噌であってもなんらその役割は変わることはありません。

その素材となるものを選び抜くところから全ては始まります。

「醸造は人格なり」とは創業者 片山秋雄の言葉ではありますが、これは同じく原料となる米や豆を造ってくださる生産者の方々に感謝することもまた、醸造家としての人格を形成する大事なこころでもあります。

温故知新

味噌の歴史はご想像よりも古く、その起源とされている「醤(しょう・ひしお)」とも言われていますが、これは今から1300年以上前。そこから「味噌」という文字で登場するのはそれでも平安時代のことです。

現代においては味噌も製法や機械・技術の進化をしてきましたが、それでも「昔ながら」の中に、また新しい気づきも生まれることがあります。「温故知新」という思想はむしろ未来のために大切なものだと考えています。

片山の「道」

人の命は限りあるものゆえに、片山として生みだしてきた技術や知恵・知識もまた、人から人へと継承させていくことによって脈々と繋がれていくものとなります。

昭和・平成・令和と、その時代の背景や地球環境によって変えなければならないもの、変えてはいけないものが出てくることもまた道理。その中で片山独自の技術と思想が必要で、これは醸造家・片山としての「道」であると考えています。

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